管理栄養士 てるこ先生の家庭の食文化 2016

管理栄養士 てるこ先生の家庭の食文化 2016年

第7回 万葉のチーズ「蘇」(2016年1月号掲載)

 「月日は百代の過客にして,行かふ年も又旅人也」芭蕉の句にもありますように,月日は行きかい時が流れ必ず新年がやってきます。昨年は豪雨などによる災害が多く大変な年でもありました。災害に遭われた方々の地域が一日も早く蘇ってほしいと祈ります。
 今年最初の食文化のテーマは,奈良に古くから伝わる「蘇」という新年にふさわしい上品で贅沢な食品についてお話しをいたします。お正月には屠蘇酒をいただき無病息災を祈りますが,屠蘇は中国より伝来し,屠(邪を屠り)蘇(蘇生させる)という意味があります。奈良県の大神神社ではお正月に先立ち,秋に屠蘇調合献上祭が神事として行われその屠蘇散を社頭で参拝者に授与されます。大晦日の夜,屠蘇器に酒と本みりんを混合したものに屠蘇散を浸し,元旦の朝,家族でおせちをいただく前に年少者から年長者へと杯を進めます(杯の順序は地方によって様々です)。

 平城の都の貴族たちが愛した「蘇」は牛乳を長時間煮詰めた加工食品でいわゆるチーズの元祖といわれるものです。淡白で仄かな甘みがあり上品な味わいです。口の中に入れるとしっとりとして,少し力を加えるとほろほろと崩れながら溶けていく。味わい深い逸品で日本酒や白ワインにも合います。原料は牛乳のみ,すでに飛鳥時代には牛乳が王族をはじめとする上流階級に飲用されていたというのは驚きです。遡ること欽明天皇(562年)の時代 呉国主の孫,智聡らの一族が来日した際に医学書や経典とともに牛乳の薬効や牛の飼育法を記した書物が持ち込まれました。大化の改新(645年)の頃,智聡の子,善那に「乳長上」(ちちのちょうじょう)という乳製品技官の職を天皇が授け,これらの記録により牛乳が飛鳥時代に飲用されたと伝えられています。当時,牛乳は貴重な薬と考えられていました。

 確かに高たんぱく質食であり,カルシウムやアミノ酸(トリプトファン)には神経を鎮め精神を安定させる働きがあります。しかし古代の乳牛は現在の和牛よりもさらに小さく搾乳量もわずかでした。文武天皇(700年)の頃,朝廷は諸国に牛を放牧させ保存性の高い加工食品を作って献納させたということです。これこそがチーズの元祖となる「蘇」だったのです。平安時代になるとさらに贅を尽くし甘い蜜を塗って「蘇蜜」という名で貴族の間で食されていたといいます。平安時代の高級チーズケーキでしょうか。身分の高い女人たちの雅やかなお茶会が目に浮かびます。当時の庶民には手の届かなかった高級な品だったのでしょう。チーズケーキなら現代ではどこでも手に入り,種類もたくさんあります。いい時代になりました。

 私のお正月は毎年春日大社へ初詣をして始まります。一之鳥居をくぐり長い参道に身を置くと不思議な安らぎをおぼえます。奈良には目に見えない何かがあります。それは神仏かもしれないし1300年の人々の想いの集積かもしれません。春日大社では年間2千回を超える祭祀が行われています。たとえば大晦日に行う年越大祓(おおはらい)式は生きとし生けるものすべての一年間の罪や穢(けがれ)を祓う儀式。私たちが知らないところで私たちの幸せを祈り続けていただいているのです。これが日本の信仰の姿でしょう。ともすればすぐに役立つことが求められがちな現代の風潮ですが,目には見えないものや,すぐには役に立ちそうでないものをも大切にする,そんな日本であり,人々であり続けてほしいと,私自身の願いを込めてお詣りし,今年も行きかう月日を平穏無事にに過ごせるように屠蘇をいただきます。

第8回 春を告げるお水取り(2016年3月号掲載)

 三月はやわらかな陽ざしの訪れと共に,女の子にとって楽しみな行事「桃の節句」があります。

はしきやし 吾家の毛桃 本しげみ 花のみ咲きて 成らざめやも(万葉集1358)
春の苑  紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(万葉集4139)

 どちらも桃の花を歌った万葉集です。幼い頃,雛祭りが待ち遠しく,特にあの小さくて可愛いお道具類でままごとをしてよく遊んだものでした。時の流れを経て家庭を持ち,いつしか自分の娘も成長し家庭を築き,ずいぶんと雛祭りから遠ざかっていました。そうして今春は娘の子の初節句となりました。
灯りをつけましょぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人囃子の笛太鼓 今日は楽しい雛祭り
 私にとっても娘にとっても心嬉しい雛祭りの復活となりました。

 奈良の都には春を告げる大きな行事があります。東大寺二月堂のお水取りです。毎年旧暦の二月一日から行われていたため「修二会」と呼ばれ,二月堂の名もこれに由来しています。人々に代わり罪を懺悔し天下泰平や五穀豊穣を祈るこの大規模な法要行事は西暦752年以来現在まで一度も途絶えたことがありません。三月一日に本行が開始され14日間休むことなく続けられます。11人の僧侶による練行衆は毎夜高さ6メートルの巨大な松明(たいまつ)に火をともし二月堂へはいり深夜まで祈りを捧げます。その時に唱えられる「声明」(しょうみょう)は独特で幽玄な響きです。練行衆が御堂入りしたあと,燃え盛る松明は舞台の欄干に掲げられます。これが有名な「おたいまつ」と呼ばれ,降り落ちる火の粉が無病息災をもたらすといわれていることから沢山の参拝者が訪れます。本行のクライマックスは12日深夜,正式には13日午前2時頃,籠松明(かごたいまつ)が焚かれ,練行衆は祈りの合間に二月堂下にある若狭井(わかさい)に水を汲みにいく,これがいわゆるお水取りの儀式です。汲み上げた水は「お香水」(おこうずい)とよばれ本尊である十一面観世音菩薩に供えられ万物の平安と豊穣を祈る儀式を終えます。この儀式が終わったら奈良に春が訪れるといわれるほど古くから人々に親しまれている行事です。

 このお水取りの本行期間中,練行衆の食事は茶粥であったと「古事類苑」に記されています。「あげ茶」「ごぼ」など特別な呼び名がついていますが「あげ茶」は茶粥を煮て汁を取り去ったもの,「ごぼ」は茶粥の汁の多いものです。大和では1200年以上も前から茶粥が食べられていました。もとは聖武天皇の御代,南都大仏建立の時,“民家は粥を食し米を食い延ばしてご造営の手伝いをし,以降奈良では茶粥を常食とした”とあります。米を少しでも節約するために始まった茶粥とのことですが,現代ではとても美味しい風情のある郷土料理になりました。香ばしく焙じた茶葉を煮だしたお湯に米をいれ,さらりと炊きあげた茶粥はミネラルと水分をとれる消化吸収のよい朝食として大和には欠かせない食文化のひとつです。

 東大寺参道から奈良公園へ歩を進めると,興福寺の境内に入ります。その傍らに素朴な外観の一軒の茶屋があります。200年前の木材を利用して作られたとか,うっかりすると見過ごしそうな古民家のようなひっそりとした趣深い佇まいです。小さなあられを添えた茶粥とともに地元野菜の炊き合わせ,魚西京焼き,奈良漬や吉野葛もちなどが美しく盆に盛られ,こころ和む奈良の味を楽しむことができます。鹿と戯れながら奈良公園を散策した折に立ち寄る私の憩いのスポットです。お水取りが終わると,奈良公園から吉野の山へ大和路を桜色に染める季節がやってきます。

第9回 大和路の五月と愛犬モモ(2016年5月号掲載)

 新緑の五月,大和路には花が咲き誇ります。大和と伊勢を結ぶ初瀬山の中腹に建つ長谷寺,別名 花の御寺(みてら)とよばれ,牡丹の名所でもあり,その牡丹は150種以上,7000株が毎年,咲き乱れます。宇陀の里,室生寺にはシャクナゲ,日本一小さな五重塔の傍らで楚々と咲き「女人高野」といわれるこの寺にふさわしい光景です。そして大和郡山市にある矢田寺は梅雨に紫陽花が矢田丘陵を紫色に染めます。また,我が家から遠くないあやめ池のほとりの遊歩道には少し淋しげな菖蒲の花が紫色に染まり可憐に咲きだすのです。

 私には11年間一緒に暮らしてきた愛犬,シーズーのモモタロウがいます。これまでは仕事に追われ忙しく,モモと一緒にあまり出かけることが少なかったため,花いっぱいの遊歩道を愛犬モモタロウと散歩しようと楽しみにしていました。5月号の原稿テーマを考えていた3月,モモに突然の異変があり「肝臓悪性腫瘍」ということがわかりました。それも末期であるという宣告です。地面にたたきつけられたような衝撃に私は戸惑い震えることしか出来ませんでした。モモの生命の灯が消えるかもしれない恐怖と絶望。犬を飼っている方なら理解をしていただけると思いますが,私にとって,モモは子供同然の家族です。昨年の1月号から休むことなく続けてきた,このコラムを書ける状態ではなくなり,編集長に電話をしましたら,「今回は食文化とは離れてもいいですよ。または,休まれてもいいですよ。」と言われました。
 モモとのかけがえのない与えられた最後の時間を過ごしながら,少しでも前向きに考え,この原稿を書かせていただきました。獣医さんからは今出来ることは薬剤投与による緩和ケアのみと告げられ,時間が経たなければいい,このまま,ずっとこのままでいてほしいと祈ることしかできない日々が続いています。

 今回の食文化は,犬にとって最も危険な食べ物について少しだけ触れます。昔から言われているのは,ネギ類(タマネギ,長ネギ)ニラ,ニンニク,生姜,そのほかタマネギ成分を含んだ魚肉ソーセージなど,表示をしっかり見ないとネギ類と同じ仲間である場合が多いので注意をしないといけません。これらにはアリルプロピルジスルフィドという中毒物質が犬の赤血球に反応し,溶血性貧血や血色素尿症が起きます。また,テオブロミン,カフェインの入ったカカオ類なども危険食物になっています。人には安全でも,犬にとっては最も危険な食物に指定されています。安心なドッグフードもいいといわれますが,これらの中にも犬によってはアレルギー物質が含まれていることもあります。

 モモはまだ11歳と2カ月。長生きできるように食事にも運動にも気を配ってきたつもりでした。定期的に身体検査もして去年の血液検査も異常なしでした。犬は人を癒すだけではなく,こちらの感情を読み取る能力に長けており,私が悲しい時,モモは首を少し傾けてじーっと眼を見て涙をぺろぺろってなめてくれました。
この俗界にいるはずのない“天使”が舞い降り,11年間もそばに寄り添ってくれました。モモは幸せだったのかな?と自分に問いかけます。この原稿が掲載され刊行されるときも生きていてほしいと願うばかりです。
 犬を飼ったときからの宿命とはいえ,モモとの残された日々を大切に過ごし,これまで食べたらダメってあげなかった甘いものやフライドチキンも食べさせてあげたい。モモの大好きな私の笑顔をしっかり見ておいてほしい。あやめ池のほとりの遊歩道も,花の咲く丘もこの先もずっとモモと一緒に歩きたい。私をこんなに癒してくれてありがとう。モモと一緒に暮らせて幸せでした。

第10回 目張りすしと世界遺産(2016年7月号掲載)

 もうずいぶん前のことですが,日本一長いといわれる路線バスに乗って旅をしました。初夏のある日,橿原市八木駅から5時間余りのバス旅が辿り着いた場所は奈良県の最南端,吉野郡十津川村。
 まさに秘境という言葉がぴったりな,辺りの風景は深い山々に囲まれ,初夏だというのに空気はひんやりとし,夜は肌寒いくらいでした。十津川村の面積は琵琶湖とほぼ同じ日本一大きい村として知られています。村の90%が山岳地で,もちろん電車は走っていません。

 バスを降りて,まず向かった先は生活用の鉄製吊り橋としては日本一の長さ297.7メートル,高さ54メートルもある谷瀬の吊り橋でした。そびえたつ深い山々に囲まれ眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れておりそれは素晴らしい絶景で,旅の始まりとしては最高のロケーションだったのです。歩くたびにゆらゆらと揺れる吊り橋はスリル満点。まるで空中散歩をしているような錯覚に陥ります。渡るときの恐怖は言葉では言い尽くせない感覚だったと記憶しています。この300メートル近い橋をやっとの思いで渡りきると,そこにはこじんまりとした吊り橋茶屋があります。その茶屋で私は高菜漬けでくるんだ目張りずしを初めていただきました。熊野地方では高菜が多く栽培され,その活用から始まったとのことです。

 高菜漬けの茎をみじん切りにしたものを芯に入れ,おにぎり状ににぎったすし飯を高菜漬けの大きな葉っぱでくるりと巻くだけの何とも素朴な一品です。名前の由来は目を見張るほど美味しく目を見張るほど大きな口をあけて食べなければならないというところから名づけられたそうです。元々は山仕事や畑仕事の合間に食べるお弁当として作られていたといわれています。素朴ながらとても心に残る美味しさでした。

 美味しい目張りすしを満喫してから,国道168号線を南へ向かうと「源泉100%かけ流し」の関西屈指といわれる温泉郷,十津川温泉に到着です。きらきらと煌めく秘境の星たちに囲まれながらの露天の湯は至福のひとときでした。標高1000m,玉置山の山頂近く,空海も修行したといわれる玉置神社を参拝したいと思いながら時間の都合で断念しこの日の旅は終わりましたが,不思議に心に深く残る旅でした。
 その後,数年の年月を経て,2004年に熊野古道がユネスコの世界遺産となりました。熊野参詣道「小辺路」は紀伊半島の奥深い山岳地帯を熊野本宮と高野山という聖地を結びます。そしてこの熊野を核とした癒しと蘇りの祈りの道は,ほぼ一直線に十津川村を縦断しているのです。十津川村を訪れたあの若い日,深い意味を知らずに,ただ身震いするような清澄感と不思議なパワーを感じたものでした。年月を経て齢を重ねた今,もう一度あの祈りの古道を旅をするのであれば,心の通い合う人と出来ることなら共に歩きたいと願っています。

 今もなお九州熊本地方の震災復興と東日本大震災の復興は続いています。つらい暮らしを強いられた人々のことを思う時,胸が痛むだけで何もできない自分の非力さを痛感します。せめて自身の平穏に感謝しつつ小さな日常の幸せを集めて心にしまっていこうと思う日々です。

第11回 高畑町界隈の秋(2016年9月号掲載)

 撫子の花が咲き,まだ残暑は厳しい日もありますが少しずつ夏の空気から秋の空気へと変わってゆく九月は私の誕生月でもあります。仲秋の名月が詠われ,天上の星も,地上の花も美しく感じられてきます。いくつになっても誕生月というのは特別な思いがこみ上げてくるものです。そして今でも懐かしく思い出す秋の風景があります。今回,ご紹介するのはそんな懐かしい遠い記憶のお話しです。

 奈良盆地の東北部,春日大社が鎮座する御蓋山(みかさ山)の南側に広がる高畑町があります。以前,私はこの町に少しの間ですが暮らしていました。高畑界隈といえば志賀直哉旧居が有名です。その旧居のある大通りから外れて細い坂道を歩いていくと新薬師寺があります。簡素でこぢんまりとした寺の境内には紫と白の萩が美しく咲き乱れています。本堂は貴重な天平建築の遺構として国宝に指定されています。本尊の薬師如来坐像が中央に鎮座し,その右手から円を描くようにそれを守護する十二神将像が安置されています。最近では十二支を祀る十二神将像が観光スポットになっているそうです。(ちなみにこの新薬師寺の新は新しいという意味ではなく,霊験新たなる,の意味で西ノ京にある薬師寺とは関係ないことを申し添えます)。さらに新薬師寺から少し歩を進めると五色椿で有名な「百毫寺」(びゃくごうじ)があります。この季節にはやはり萩が美しいことで有名な寺です。

 高畑町は奈良公園にも近くふらりとよく散歩をしたものです。10分ほど歩くと奈良公園の南,鷺池に浮かぶ「浮見堂」という桧皮葺(ひわだぶき)六角形のお堂が見えてきます。水面に移る姿がそれはそれは美しいお堂です。去る八月に行われた奈良公園のイベント「奈良燈花会」では浮見堂もメインスポットとなり,蝋燭の悲しげな明かりが幻想的でした。九月の風を感じながら浮見堂から仲秋の名月を愛でることができたらどんなに素敵でしょう。是非 いつか実現したいと思っています。 

 さて,遠い記憶のお話しはここからです。子供の頃の懐かしいお月見といえば夕餉の団欒です。この日は縁側に座卓を運び,父が庭に打ち水をし,私は母と一緒に萩やススキ,桔梗を活け,そして夕餉の支度を手伝いました。白玉団子を作り,まずは綺麗に並べてお月さまにお供えします。夕餉の献立は,旬の秋刀魚の塩焼き柚子醤油添え,里芋のごま味噌煮,けんちん汁などでした。デザートは白玉団子にきな粉をまぶしていただくのです。父の日本酒をちょっとだけくちにして…。お酒の味を比較的早くに覚えてしまいました。

 先にも書きましたがこの高畑町といえば志賀直哉氏,志賀直哉といえば「奈良にうまいものなし」が有名です。この一文だけが先行していますが,随筆の全文を読むと奈良へ愛情にあふれた中での文言でしたので意外と気にはなりませんでした。確かに本当に美味しいものというのは,家庭の何気ない食事の中にあるのかもしれません。今年の仲秋の名月には,昔から覚えのある味を辿りながら,平和な時間の中で愛でることができれば良いと思います。

月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月(よみびとしらず)

第12回 お伊勢さん(2016年11月号掲載)

 昨年の新年号から隔月スタートした,このコラムも今回で一区切りとし,最終章となります。最終回として選んだテーマは,一生に一度はお伊勢参りをしたいと憧れを募らせる聖地「伊勢神宮」について書かせていただきます。日本人の心の故郷としてのその思いは時代を経ても変わることはなく,内宮と外宮を合わせると現在では1年間に約800万人の方が参拝に訪れるそうです。関西では「お伊勢さん」として親しまれ,最近では若者のパワースポットとしても人気があります。

 外宮参拝の後,内宮の入り口である宇治橋を渡り涼やかに流れる五十鈴川で身も心も清めるために手を洗います。参道に一歩足を踏み入れるとそこは樹齢数百年にも及ぶ杉の香が漂い,巨木の間から射し込む太陽の細い光と影に包まれた神の森。自然に宿る神々しいオーラを浴びて五感が研ぎ澄まされていきます。玉砂利を敷き詰めた参道をさらに奥へ進むとそこは御神域,正宮皇大神宮です。日本人の大御祖神(おおみおやがみ)であり太陽の女神とされる天照大御神がお祀りされています。私はいつも「ようこそここへお導きくださいました」とお礼を申し上げ,心静かに祈りを捧げます。

 誠に畏れ多くて恐縮ですが,私の「照子」という名は実は天照大御神さまの一字を頂戴して命名したと父から聞いています。齢を重ねるほどにこの名のご縁に重みを感じ,お伊勢参りは私の心の故郷へ里帰りをするような気持ちが生まれました。いつの頃からか,まるで誘われるように,招かれるようにお伊勢さんに身体が向かうのです。願うのではなく,身を置くだけで魂が浄化され静かに満ち足り心鎮まる神の杜です。

 お参りのあとは清々しい気持ちでおかげ横丁からお祓い横丁を歩いて伊勢の味や民芸品を楽しみます。横丁名物ステイックきゅうりや牛肉やさんのコロッケ,松坂牛の串カツ,おからドーナツなど店頭販売がいっぱいあるので食べ歩きができ気持ちも若返ります。出来たての赤福餅,豪快なてごね寿司,伊勢うどんなど美味しいものがいっぱいです。そして旅の締めくくりは五十鈴川を眺めながらのカフェでコーヒーと和三盆のロールケーキー,何度行ってもまた行きたいと思う心安らぐ私の「お伊勢さん」です。民芸品も素敵です。松坂藍木綿の凛々しい“おかげ犬”のぬいぐるみは今も我が家の玄関に。組み紐屋さんであまりの美しさに思わず立ち止まり娘に帯締めを買ったこともありました。

 いろいろな事件の起こる昨今は特に家庭のあり方が問われています。“おうちごはん”が美味しくいただけるということが家族の絆の基本であろうと私は思っています。私の食生活のベースはやはり亡くなった母の四季折々の行事を取り入れた料理でした。近頃では嫁いだ娘の料理の味が私とそっくりになり,今では私を超えそうな腕前です。私が亡き母から教わったこの味を娘が受け継ぎ,そして将来は孫娘へと引き継いでくれるのでしょうか。このようなさりげない日常の営みこそが,実は家庭の食文化をゆっくりと育んでいくのでしょう。季節の移り変わりと同じように人の生きる道も様々に変化していきます。幸せな人も順風満帆な人も,時には上手くいかないこともあります。そんなときは五十鈴川の清い流れに手を入れて,心を洗うのもいいかもしれません。

 家庭の食文化というテーマをいただき,執筆させていただいた2年間,ご愛読本当にありがとうございました。

てる子先生の食文化2015年のコラムはこちらから

中村照子(管理栄養士 理学博士)URL : http://dr-teruko-nakamura.com/
これまでは大学で栄養学関係の教職に携わり、蚕や桑葉の栄養機能成分の研究を行う。
現在は、テルコ・ニュートリションを主宰し、管理栄養士国家試験サポートや各種栄養に関するコンサルタント業を中心とした活動を行っている。
兵庫県姫路市生まれ、奈良市在住。